象形文字入門 (講談社学術文庫 2118) | 加藤 一朗 |本 | 通販 | Amazon
象形文字の大きな潮流として、まずは漢字、最古の文字ともされる楔形文字、そしてアルファベットの源流となったヒエログリフがある。
本書は象形文字入門とあるが、中心とした記述はヒエログリフの物となっている。
実に70年ほど前の著作であり、一部内容には古い記載も見られるようだが、文字の発生とヒエログリフの文法、そしてその文化的な特徴と、その他の文字との関係性を時系列を持って理解できる。
世界史の中で線形文字AとかBとか、フェニキア文字とか勉強した気がするが、あまり連続した歴史として理解していなかったので、非常に面白かった。
また文字の発生や、アルファベットへの転換、そして漢字や日本語のアルファベットに対比したときの得意性など、文字や解読、そして文化について文字の影響について深い示唆を与えてくれる点で、誰しもが目を通す価値のある良著であった。。
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文字というものは、イラスト(絵文字)→象形文字→表意文字→表音文字というように変わっていく。文字を持たない文明においても(インディアンのような)、イラストで意図を伝えることはあるが、抽象的な観念や複雑な事象を表すことはできない。そこにイラストと文字の違いがある。
一見イラストに見えるヒエログリフ(古代エジプトで用いられた文字)も、抽象的な事象を表すことができる点で、立派な文字である。
ヒエログリフは家を表す文字がそのまま家を表し、それを転じて部屋という意味になり、それが表す音を転用して別に「出る」という意味にもなる。このように意味が拡大していくことで、家の形を表したイラストは、複雑で抽象的な文章を表すことができる。
さらにヒエログリフの特異な点を述べると、それが象形文字だという点にある。
単に意味を伝えるだけであれば、筆記体的なヒエラティック、さらに速記体のようなデモティックが存在しているが、正式な文章はすべて象形文字であるヒエログリフで書かれた。
そのイラスト的な文字をどこまで書き込むかは、その書き手に委ねられており、文字そのものにイラスト的な美しさが存在している。
ヒエログリフは神殿に彫り込まれているものであり、他の文明が持たない高度な発明品であり、神が与えた特別な力を持つものとしてそれ自体が尊重されていた。英語のglammerが魔法を意味するglamourから来ているように、文字自体に神聖性を含むものとしてエジプトでは捉えられていたのである。
このように文字そのものの美しさを追求する姿勢は、漢字における書道に通じるものがあるのではないか。これはアルファベットのカリグラフィーとはレベルの違う文字の美しさの追求であろう。
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ただそんなヒエログリフはいかに美しい文字であるとしても、実用性の観点から完全な表音文字であるアルファベットにその存在を奪われていく。
ヒエログリフは意味を表すに当たって、もとの意味を失った完全に音だけを表す文字も開発されており(かな文字のような)、これにより様々な概念を表すことができるようになった。これがアルファベットの源流となった。
アルファベットはエジプトに支配されていたシナイ半島のアラム人が、彼らの言葉を表すために表音文字としてのヒエログリフを転用したことから始まる。この時点ではただ音に文字を当てただけであり、文字体系として確立していたわけではないようだが、アジア・ヨーロッパ・アフリカをつなぐ地中海の海の交易民であるフェニキア人がより実用性を追求したフェニキア文字を開発して文字体系として確立していく。アルファベットは商人が徹底的に実用性を追求した表音文字であると言える。
そしてギリシャ人がフェニキア人と地中海で交易をしたり争いをする中で、より洗練されたギリシャ・アルファベットが誕生し、アレクサンダー大王がギリシャのアルファベットでアジアやペルシアを支配し他のアルファベットを駆逐した。
そしてローマに時代は引き継がれ、現在のローマ字が完成するのである。
当時ペルシアではメソポタミアから続く楔形文字由来の文字が使われていたが、アレクサンダー大王の征服及び徹底した実用性を有するアルファベットの前に駆逐されてしまい、現在ではその命脈を保っていない。
エジプトのヒエログリフも同様の道をたどることになる。ギリシャの支配を受けたエジプトは、その後文化的にも経済的に自立を失い、結局アルファベットでエジプト語を表したコプト語に取って代わられることになる。
文字自体の美しさを表すイラスト性≒表意文字は、すべてなくなり、実用的な表音文字だけとなってしまい、ヒエログリフはエジプトから消滅した。
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明治期、漢字やひらがなを捨てて、日本語もアルファベットで表そうという論が生まれたことがあった。
エジプトがヒエログリフを捨てたのは、文化的にギリシャに征服されたからであり、文化的な独自性という観点では古代エジプトほどの輝きはその後には生まれていないだろう。
本書は70年ほど前の書籍であることもあり、西洋人に対する憧れと日本語や漢字に対する劣等感というものが垣間見える部分がある。
わざわざ書く必要がないのに、アメリカ人が電話とtelephoneという並列記載をみて、こんな単純なものを表すのに二文字必要というのは後進国の文字だと言ったという話が出てくるが、なんというか当時の世相を反映するようである。
また当時はコンピューターなど存在しない時代で、文字はタイプライターで打たれていた。その点でもアルファベットの実用性は、漢字やかな文字に大きく勝っていたと考えられていたようだ。
中国や日本においては、アルファベットのような実用的な表音文字は発明されておらず、現在でも表意文字を用いる(本書内では古代文字という言い方になっているが)唯一の国であると記載されている。実用性の観点から自分たちの文字を、すこし改良すべきではないかという反省も含まれているのが、時代を感じて非常に面白い。
確かに日本語のかなが表せる音は少ないため、biとかviとかの音の差を認識しにくい。音への感度を高めるために、かなはアルファベットを導入するか改善してもいいのではというのは、なるほどなぁと思ったものだ。
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最近とみに感じることがある。世界に日本以上に素晴らしい国はない、ないしは日本よりもずっと良い場所なんてないということだ。
私も若い頃は漠然と日本以外にももっといい国があるのではと思っていた。北欧諸国は教育的に福祉的にも先進的だと言われていたし、アメリカの豊かさや西欧の文化はより成熟していたように感じていたものだ。
しかし、実際にアメリカに1年留学したり、昨今インターネットで世界各所の生の情報を得られるようになって、いかに日本が素晴らしいかがわかってきた。
家の中にショットガンを置く必要もなければ、大麻の匂いのする黒人からたかられることもない。最近の日本の最大の敵はクマであって、暴動を起こす移民ではない。なんと平和なことか。歌舞伎町で寝ていても命を奪われることもなければ、夜中を女性が一人で歩いても安全だ。
ここにいたって、日本が明治から受けていた、優れた西欧の幻想は本当の意味で消えて来ているのではと思う。
世界のどこにもここ以上の素晴らしい場所はない。外への夢物語のような幻想など存在しないのだ。
アルファベットをして優れた文字であり、日本語を反省すべきという本書の論調を読んで、単純な感想として、日本語にはかな文字カナ文字という優れた表音文字があり、漢字という優れた表意文字もある。そっちのほうがすごくない?というものだった。
別に国粋主義的な話をしたいのではなく、ピュアに日本やその文化、そして文字を見た時に、なんら恥じることなく、そしてその独自性を保っていることに先達への深い感謝を持ちたいということだ。
砂の中に消えたヒエログリフを思いながら、今日本語を書いていて深くそう思う。
我々は実用性で世界を制覇したアルファベットとは異なる独自の文字を持っており、かつ実用性でも大きく負けているものでもない。
今後グローバルな世界を考えるに当たって、また右傾化する世界を見るに当たって、いたずらに自虐する必要はなく、また排他主義になるような勝っている負けているなどの意味のない比較をするのではなく、ただ優れている自分たちの文化にしっかりと磨いていく感謝していく。そういうことが重要なのではないか。
そして文字において日本はそれができる位置にいるのだろう。
意味のない憧れは、現在への感謝をおろそかにする。海外への憧れよりも、日本への感謝を。今を生きるこの日本や地域への感謝と行動を。
本書は日本語への感謝を再確認する意味での、良い書であった。